「私はあなたの名前を知っている」
1938年6月14日、東京・九段にある陸軍将校の親睦組織「偕行社」の一室で、参謀本部ロシア班の少佐と最初の握手を交わしながら、男はそう切り出した。暗殺者を警戒し、建物の外では憲兵が周囲を見張っていた。
男の名はゲンリフ・リュシコフ。スターリン政権で秘密警察を統括する内務人民委員部(NKVD)の極東局長のほか、ソビエト最高会議代議員などを兼任する大物だった。
だが、6月13日、副官ら数人と満州東部の琿春(こんしゅん)に近い国境地帯を視察中に、突然、単身歩いて国境を越え、日本の傀儡(かいらい)国家、満州国へ亡命した。当時、ソ連で粛清の嵐が吹き荒れていた。NKVD幹部までが次々と罪に問われ、身の危険を感じたためとされる。
リュシコフは1時間後には、国境警備隊から特務機関に身柄を引き渡され、翌14日、特別機で東京へ移送された。
尋問にあたった少佐が戦後、アメリカ人歴史家の故アルビン・クックス博士に当時の状況を語っていた。そのインタビュー音源が残っている。
「どうしてあなたは僕を知っているんだ」と問う少佐に、リュシコフは「あなたを、僕はずっと監視していた」と答えたという。1935年2月から2年余り、少佐はモスクワで大使館付武官補佐官として情報活動に従事したが、当時リュシコフは、NKVD配下の秘密警察幹部として、少佐らを隙あれば取り込む役回りだった。
「私はどういう評判だったか?」。尋問が進んで雑談に移ったころ、少佐が尋ねると、リュシコフは「あなたには本当に困った」と、不満を蒸し返したという。
秘密警察が仕向けた女性を、少佐が次から次へと取り換えたためだった。「それでね、女を固定させることができないって言うんですよ」。「ハニートラップ」への対抗策として、上官から「1人の女と3度以上付き合ってはいけない」と命じられていたと、少佐は語る。
日本軍が重用した3人の亡命兵。しかし、彼らが待ち受けた運命は過酷でした。
持ち込んだ機密書類を提供し…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル